エストニア 医療 妊娠出産

エストニアでの出産レポ

エストニアでの出産レポ

先日、無事に息子が産まれました!かなり遅れて振り返りながらの出産レポになるので多少間違っている部分もありますが、誰かの参考になれば幸いです。24歳、小柄(153cm)、初産婦です。 2023年3月。

お産の兆候?

  • 37w3d恥骨痛
  • 37w4dおしるし(茶おり)
  • 38w5d粘液栓
  • 39w1d恥骨痛悪化
  • 40w0d腰痛
  • 40w3d陣痛
  • 40w4d出産

臨月でつわり症状からやっと解放されたと思ったら酷い恥骨痛に悩まされ物理的に動けなくなってしまいました。悪化してからはベビーワゴンを歩行器代わりにしてなんとかよちよちと歩けるレベルで、寝返りや頻尿で夜間トイレに行くたびに呻き声で旦那を起こしてしまい、臨月にもなってつわりとはまた別の苦しみがあるなんて知らなかったよね。

正期産に入って茶おりや粘液栓が出たのでそろそろかな?と淡い期待を抱いたものの、お腹が張ることはあっても前駆陣痛すら来ませんでした。旦那は毎日のように家の工事を進めていて、赤ちゃんの誕生vs家の完成のどちらが先になるかとソワソワ。「陣痛も破水も統計上だいたい夜始まるから病院まで送ってね」と毎晩寝る前に話していました。(でも来ない)

8人産んだ義母にもお産の兆候をこまめに報告していたのですが「(粘液栓などが出ても)腰痛が来るまではまだだと思うよ!腰痛が来たらすぐだよ!」と言われていた通りでした。なんなら「〇日に産まれると思う」と言われた日の朝に陣痛が来てビックリ。(陣痛が長かったので出産は次の日になったけど)

陣痛

40w3dの朝、軽い生理痛のような痛みとともにお腹の張りが。今までお腹が張ることはあっても痛みが伴うものは一切なかったので「もしかしてこれがウワサの前駆陣痛!?」と思い、とりあえず陣痛カウンターで間隔を測ってみると

!!!!まさかのきっちり5分間隔!!!!

前駆陣痛にしてはあまりに規則的に来ていたので本陣痛の可能性を拭えず旦那に「念の為病院へ連れてってほしい」と伝え、急いで準備を進めました。わたしの入院バッグは既に車に乗せていたけど旦那が一切準備していなかったので15分ぐらい待ちました。ちゃんと準備しといてくれ。まあ旦那の持ち物なんてほとんど無いんだけど。

病院へ

車に乗り込み、タリンにある病院へ。通勤ラッシュの後だったけど、片道一時間かからないぐらい。 陣痛が来ているときは少し「うぅ…」となりつつも普通に会話ができる程度の痛み。家のベッドで寝転んでいたときは規則的に5分間隔で来ていたのに車の中では5-8分と少しバラつきがあったので「ここまで来たのに陣痛が遠のいてしまったかも…」と焦りを感じました。

病院の緊急入口(出産する人向け)は前に3人も並んでいました。5分間隔での陣痛を2回ほど耐えてやっと受付に辿り着き、5分間隔で陣痛があることを伝えるとすぐに助産師さんの部屋へ。ちなみに以前緊急にかかったときと全く同じ場所。

内診で子宮口1cm、NSTは60-75ぐらいの張りが6-8分間隔で来てると言われました。「あれ?先週の健診のときより子宮口狭まってない?というか陣痛来てるなら3cmぐらいは開いてるんじゃない?」と思っていたのでやや落胆。

「陣痛来てるけどまだ進んでないから数時間後にまた来る?」 「片道1時間の田舎に住んでて戻ってくるとなると2時間かかるんですが………」 「入院したい?」 「入院したいです!」

と少々ゴネたところ、無事に入院が決定しました。

緊急入口前で車から下ろしてもらったのでこの時点で旦那とも入院バッグとも離れた状態。ということで陣痛バッグも準備したのに病院に持ってこなかったという失態をやらかしたまま、スマホ1つで入院しました。

陣痛室へ移動

早速着替えを渡されました。手ぶらでスリッパもなにもないと伝えるとスリッパももらえました。ありがとう。産院の冊子には入院準備に着替えやスリッパと書かれてたけど「手ぶらでも案外いけるじゃん?」と謎の失敗の余裕をかましてました。

陣痛室(二人部屋)に案内されましたが他の人はいなかったので一人。でもトイレとシャワーは人がいる隣の部屋と共有。痛みも軽かったし暇だったので廊下に出て「ご飯っていつ出ますか?」と聞いたりTwitterに張り付いたりしてました。

助産師さんにおすすめされた通り、腰回りに暖かいシャワーを浴びたりバランスボールに乗ったりした後、基本的に暇を持て余していました。ご飯も次の内診は午後4時と言われたのでこれからの体力のためにも食べました。基本的に現地飯が苦手なので初っ端からなかなかつらかったです。病院飯の九割に嫌いなディルが乗ってました。

2回目の内診

正直痛いけど耐えられるぐらいで、それでも何時間も5分間隔だったんだから5センチぐらい開いててもいいんじゃない!?と思ってました。内診してもらったところ朝の1センチから変わらず。正直分娩室には入れるだろう(3cm)と思ってたからかなり甘く見てたようです。実際声も出さずに耐えれるぐらいだったのまだまだだったのかも。次の内診は"evening"と言われ、また陣痛室へトボトボと戻りました。

そろそろ痛い

陣痛室に帰らされたもののこの辺から結構痛くなりました。アーとかフーとかちょっと声を出しながら耐える。書く必要もないけど朝から変わらず無限に5分間隔。夜7時あたり、一人で耐えるのが辛くなって内診をお願いするも「君は開きが悪いから夜9時まで待ってね」と言われ半泣きで部屋に戻りました。内心「もう分娩室に入れてくれ」となにかにキレてました。分娩室に行けばサポートパーソン(わたしの場合は夫)を呼べるし無痛分娩(硬膜外麻酔)も入れられるので、3cmの壁がとにかく憎かったです。

3回目の内診

この時点で5分間隔の陣痛(軽いものを含む)が12時間以上、NSTでも100がときどき出るレベル。CTG室に他の人がいても呻き声が耐えられないぐらい。その後の内診で子宮口の開きを確認してもらい「2cm」と言われた瞬間に号泣。いつか終わりが来ると分かっていてももうしんどかったです。それを見た助産師さんに「もう麻酔入れたいですか?」「入れたいです!!!!」というやり取りの後、分娩室に入れてもらえることになりました。陣痛室も分娩室もゴネてスミマセン………

分娩室へ移動

すぐ旦那に来てと電話しました。陣痛に耐えながら分娩室に移動して助産師さんとお医者さんがすぐに無痛分娩の準備をしてくれました。助産師さんにエストニア語で話しかけられたからエストニア語で返してしまうけど、流石に誤解があっては困るのでエストニア語で「英語でお願いします」と伝えました。以降たまに英語を使ってくれるものの結局ほとんどエストニア語で事が進みました。事前に出産関連の単語をインプットしていただけあってほとんど理解できたし言いたいことも伝えられたけど、不安感は拭えません。万年B1レベル(苦笑)

硬膜外麻酔

色々説明(エストニア語)を受けながら着々と硬膜外麻酔が始まりました。助産師さんに腕に点滴を入れてもらい、おそらくお医者さんが背中に麻酔をやってくれました。事前に他の人に聞いていた背中を丸めてエビの姿勢で〜というやつ。「動かないで!」と言われるけど、陣痛中はとにかく痛いから「待っていま陣痛来てます!」とはっきりと伝えて耐えました。仮に動いてズレたら大変なことになると理解していたので精神的にも疲弊したし、針が入ったときは普通に痛くて泣きました。でも一時間以内に痛みが消えてめちゃくちゃ感動しました。いやあ、痛みに弱すぎる。

基本的に痛みに負けて泣きまくっていたので「子宮口全然開いてないのに」とか「Väike naine(小さい女)」とかみんなにめちゃくちゃ言われてました。小さい女ってなんなん????

旦那到着

電話から一時間半後ぐらいに旦那が到着。時間的に絶対道も混んでないのにやたら遅くない?と思ったけどシャワー浴びたりスーパーで色々買ったりしてたらしい。旦那はちょうど全ての工事を終えて疲れたまま来たのでずっと「疲れた」「寝たい」みたいな感じでとにかく役に立たない立会人でした。まあ私はこの時点で麻酔で超元気に回復してた(眠かったけど)ので正直サポートとかいらなかったけど、病院バッグが届いたのでやっと好きな物が食べれるように。無痛分娩の場合飲食禁止だと思ってたけど、助産師さんに「軽いものならいいよ〜」と言われたのでひたすら平和にみかんを食べてました。

仮眠

麻酔後も動いてと言われるので若干麻酔で間隔の鈍ったままバランスボール乗ったり机に捕まってスクワットっぽいことしたり。とはいえ朝から陣痛で眠かったので外にいた助産師さんに「寝ていいですか?」と聞いて「いいよ」と言われたので寝ることにしました。定期的に心拍やNSTのチェックは入るので起きるけど3-4時間ぐらい寝ました。次のチェックで「こんな寝てないでちゃんと水分とって自分でおしっこ行って、動きなさい」と怒られました(理不尽)。旦那は床じゃ寝れないと不満をこぼしつつ仮眠。一人で歩いてトイレに行こうとベッドから立ち上がった瞬間に感覚なくて膝から崩れ落ちました。旦那が「何してるの!?」とちょいキレながらも歩くの手伝ってもらいました。

あとから気づいたけどこの転倒でなかなか大きい痣が出来て一週間以上ガッツリ残りました!麻酔中、気をつけましょう。

人工破水からの緊急帝王切開?

ほぼ寝てただけなのに4:20時点で子宮口6cmに。麻酔のパワーに感動。神。助産師さんに「人工破水しとく?」と言われ、お産が早く進むと思ったのでそのままお願いしました。膣に何かを突っ込まれパツンと音がしてダバダバ温かい液体が流れてきました。部屋が暗くてしっからは見れてないけどトレイ内に液体と膜みたいなのがありました。

人工破水させてから10分後ぐらいに胎児心拍が急降下して50台、アラームも鳴ったので急いで医者を呼びました。張り止めの薬を入れて(一旦陣痛が引く感じ)副作用の動悸で体が震えまくり。なんとか持ちこたえたけど、「次に似たようなことがあったら緊急帝王切開ね」と言われました。分娩事故なんかも無駄に調べていたので、もうさっさと無事な内に切ってほしいと思いました。これ以降私のお腹ではなく胎児の頭に直接モニターがつけられ、常に医師(別室)から監視されるようになったのでやや安心はしたけど。この時点(4:50頃)で子宮口は8-9cmほど。麻酔は既に使い切り、お産が近いことを理由に追加で入れてもらえないのでここから逃げてきた痛みと向き合うことになります。多分この辺から旦那の意識が変わって、しっかり支えてくれるようになりました。

子宮口全開

5:45頃、痛みが限界で子宮口全開だ!と旦那に助産師さんを呼びに行ってもらいました。子宮口は全開で麻酔の追加を嘆願するも「もう生まれるからできない」と断られ、絶望しながら2分間隔の陣痛を耐えました。旦那にNSTの波形を見てもらい「来るよ、頑張れ」と声をかけてもらいながら陣痛中は馬鹿力で旦那の手を握ってました。ハァーーーと声を出すだけでもうまともな言葉は喋れない感じの痛さです。でも「まだ赤ちゃんが降りてこないのでもう少し待って」と助産師さんが一旦帰ってしまいました。

誕生

6:00頃、痛みが限界突破して叫び声がまた一段階変わりました。お腹のものを押し出したい(いきみたい)気持ちが湧き上がり、早く助産師さん呼んで!と旦那に叫びました。助産師さんに確認してもらったところ、やっといきみオッケーをいただきまいsた。

ここまでずっと右を下に横向きの姿勢でベッドに寝転んでたんだけど、助産師さんが「旦那さん、左脚持ち上げて!」とこのまま出産姿勢に入りました。内診台みたいな分娩台があるのかと思ってたんだけどまさかのここで産むの????と言い返す力は残ってませんでした。一回目はファーと力を入れて何も出ず(わたしは頭ぐらい出たのかと思ってたけど)、すぐさま二回目に超サイヤ人の気持ちでウオオオオオオと長めにいきんだら全部ずるんっと出てきました。当たり前のようにうんちも出ました。

いきむ感覚は便秘でめちゃくちゃ硬くなったブツを押し出すのとすごく似ていると思いました。で、それの100倍ぐらいの力でやると赤ちゃんが出てくる。 その前に見てもらってた助産師さんには「お産進んでないのに無理やり病院来た弱い女」と認識されていたので、「もう産まれたの!?」と驚かれました。

産まれたあと

カンガルーケア

正直記憶が曖昧だけどすぐに血なまぐさい温かい生き物を胸に乗せられて困惑。旦那は元々立ち会いも嫌がるレベルだったのに助産師さんに呼ばれあれやこれやと臍の緒を切らされてました。後日談「肉体だからすぐ切れないしすごい固かったんだよね………嫌だったのに………」とトラウマらしい。

赤ちゃんは胸の上に乗せられてるから全く見えないけどとにかく血生臭くて旦那に写真撮ってもらって少しだけ見ました。もぞもぞ動いたりか弱く「おぎゃあ…」してて母性が湧きました。まだ人間感はあんまりなかったけど。

産後処置

息子を胸に乗せられたまま母体のいろんな処置。いきんで〜と言われてその通りにしたら二回目で胎盤がするんっと出てきました。見たかったけど残念ながらそんな余裕はなかった。局所麻酔を入れてもらい産道?膣内?を溶ける糸で2箇所縫ってもらいました。麻酔があっても違和感はあるし若干痛い。でもアドレナリンダバダバでもう分からない状態。

37.7度の発熱がありカロナールを飲みました。頭痛も熱も多少マシに。助産師さん曰く、産後の発熱は結構よくあるらしいです。

あれだけビビっていた会陰は裂けなかった。ITKでは特殊な場合(巨大児や軟産道強靭)を除いて会陰切開はしないと言われていた。

初乳

色々の処置が終わって6:30頃から初乳を吸わせました。丁度シフト交代の時間で「そのうち次の助産師さん来るから〜」と言われ、8時過ぎまで延々と吸わせることになりました。乳首が痛くて死ぬ。赤ちゃんの顔は見えないのに頭が眼の前でとにかく臭かったです。

入院

分娩室に朝ご飯を持ってきてもらいそのままファミリールームへ移動。完全に満身創痍であちこちが痛くてイブプロフェン限界量をキメても寝転んで授乳以外は何もできませんでした。もっと産まれたてほやほやの赤ちゃんを見たかったし写真も収めたかったけど座るのも歩くのも出来なくて寝たきり授乳マシーンに。膣内裂けて肛門爆発(いぼ痔)したから座れる訳ないし恥骨痛も産んですぐ治るもんじゃないから全然歩けませんでした。廊下を歩いてる産褥婦さんもたくさんいるらしくて心底「都市伝説?」と思いました。ありがたいことに旦那が全部やってくれてたけど、(コロナ禍などで)ひとりだったらこれ無理では…?

授乳方法

元々母乳育児をそこまで希望していなかったけど完母命な病院だったので流れに任せて母乳を頑張ってました。でも絶対に乳出てないから追加ミルクを足してほしいと頼んでも完母主義の助産師さんに断られるのが2回。赤ちゃんがすごい勢いで泣くようになって、絶対にお腹空いてると伝えても一切もらえず、二日目にしてやっと授乳前後の体重を測ってもらったら1g減ってました。ここでもう心折れる。やっともらえた追加ミルクをシリンジで飲ませたときはごくごく飲んで安堵と申し訳ない気持ちで涙が出ました。乳首は痛いし乳も出ないし赤ちゃんが可哀想で心は完全に完ミへ向かっていたのに助産師さんから許可が出ないのでとりあえず搾乳+追加ミルクにさせてもらいました。電動搾乳機で搾乳しても3-5ml。何度か頑張ったけど結局生後3日で完ミを認めてくれる助産師さんに出会い、完ミになりました。「いちばん大事なのは赤ちゃんが食べること。母乳でもミルクでもいい」と伝えてくれて号泣しました。旦那もここまで話を聞いてくれない助産師さんにキレてたけどこの最終日の助産師さんはとても明るくて素敵な人だったので二人してめちゃくちゃ感謝しました。散々だったので最後に素敵な人に出会えて良かったです。

助産師さんの対応は今も許せないしずっとお腹空かさせてしまったことがトラウマ。この退院した日ぐらいから母乳が出るようになってさらに乳腺炎みたいになり毎日泣きながら搾乳して捨てるハメになりました。3日しかあげてないのに二週間は乳トラブルに悩まされました。後悔も未練もたくさんあるのでもっと知識をつけて強く戦うべきだったと思います。結果的に産後二週間は旦那ワンオペ、わたし屍でなんとか回復したので完ミだからこそ楽はさせてもらいましたが。

(旦那が)助産師さんに「乳が張って痛い」と伝えたら冷蔵庫からキャベツの葉っぱもらいました。エストニア人から確かにキャベツの葉っぱの話は聞いていたけど、まさか病院で出てくるとは思わずびっくり爆笑でした。

振り返り

  • 間隔短いくせに進み遅すぎて何度も絶望したけど、麻酔で一気に進んだ。神。
  • 結局最初から最後までエストニア語8割ぐらいだったのでほぼ分かるとはいえちょっと不安だった。
  • 胎児心拍低下や麻酔切れたあたりから旦那が協力的になったので、無痛のままだったらお産の大変さが伝わらなかったかも。結果オーライ。
  • LDKまでの工事が終わった翌朝に産まれた、天才?
  • 助産師さんによって言うことが違いすぎる。マジでガチャ。

初めての出産がエストニアで事前情報もほとんどなくて不安でいっぱいでした。お産の数だけストーリーがあるしお産はやっぱり奇跡だと思う。いろいろ調べてしまう悪い癖があるのでとにかく母子ともに無事で本当によかったです。これから出産を控えている方も素敵なお産になりますように。